初の自主公演
■今年8月4日に初の自主公演を開催。
開催する”きっかけ”は何かございましたか?
師匠(竹三郎さん)とは普段から昔の大阪の話を聞いたり、「こういうものやりたいですね」とか「こういう配役だったら面白いですかね」とかそういう話をしたりしていました。
米寿(88歳)の記念公演もやったらという声もいただいたりしているのでそんな話を交えながら…。
■えー!米寿もですか!?(笑)
実現するかはわかりませんけど(笑)そういうあくまでも雑談を最近よくしてまして。
去年のこんぴら歌舞伎(2017年4月)の時もそんな話をしていたら
「やるんだったら私が元気なうちにやりなさいよ。」と言われたんですよ。
■急にですか?
急に。本当に急に降って湧いたという感じです。「やったらええがな。」って(笑)
■もうトントンと進んで?
「まず劇場から見つけなさい。」って言われて調べて。
「勉強会やりたいな」「こういうお芝居やれたらいいな」という気持ちは常に心にあったんです。
師匠が自主公演をやってきたその背中は見てきましたから。
こんぴらのその出来事がスタートですね。
■ちょうど蔦之助さんも同じ時期に初の自主公演をなさいますよね。
そうなんですよね、なんだか今年は沢山あって…。
■タイミングがほぼ一緒だなと思いまして(笑)
まさかですよね。
■よく共演されてらっしゃるので「私たちもそろそろ自主公演でもやろう」とかそういうお話があったのかなと思いました。
いやいや全然(笑)
東京と大阪ですしね。
スタイルも出演される方も違いますし。
でも、こういうのが増えていくってとてもいいことだと思います。
私が入ったころには、竹三郎一門での「竹登会(たけとかい)」、片岡我當(かたおかがとう)さんのご一門で「ときわ会」という踊りの勉強会、松竹上方歌舞伎塾の卒塾生だけで作る「若伎会(わかぎかい)」だとか、ブームじゃないですけど、そういうのがよく開催されていて、NGKの向かいに「ワッハ上方」という演芸資料館の中に「ワッハホール」っていう劇場をみんな使ってたんですけどなくなってしまって。
やっぱり劇場がなくなるとやりにくい。大阪は手ごろな劇場がないから特に。
そういうこともあってちょっと大阪で自主公演とか勉強会が無くなっちゃったんですよね。
■自主公演となると自分自身が中心となりますね。
大変な部分が多いと思いますよ。
■そうですね。主役だからどうとかではなく、リーダーとしてどうまとめていくかというところ。
例えば今(スーパー歌舞伎Ⅱワンピース)猿之助さんの横でストーリーの中で大切なセリフを言わせていただいていますけど、お客様に分かっていただくのも勿論なんですけど、主役の方のお芝居の気持ちが繋がるように持っていくことがまず第一かなと…。これが正しいかどうかはわかりませんけど。現時点でそういう思いに至ったんですよね。
そしたら、やっぱり「してあげたい」人にならないといけないと思うんです、主役って。1日だけでも自分がそこへ行くというのはやはり怖いですよね。
■「恐い」と言うお気持の方が大きいですか?
やっぱり怖いですよ。
やったことないだけにいろいろ考えますよ(笑)
■そうですよね。「いよいよ自主公演やるぞ!楽しみ!」とかそういうことではないのですね。
うん、やっぱりまだ「大丈夫かな、どうしよう」ですよ(笑)それじゃいけないんでしょうけど
■これは竹之助さんご自身にしかわからない部分もありますね。
そうですね。
これが誰かと組んでやっていたりしたら、まだ気持ちも少し違うかもしれないですね。
人に言ったってわかってもらえないこともあるし…今は不安の方が大きいですかね…。
踊り(雷の道行)に出てくれる藤間涼太朗君というのは北海道の美唄の人で、小さい時から踊りやっていて、尾上松緑さんとこので尾上松男として10年近く役者やって、今は藤間紋寿郎さんのところで勉強しているんですけど。踊りは二人なので気持ちとしたら楽ですよ。
■人数が多くなればなるほど「まとめるのが…」というところなんですね
そうですね。
決して「まとまりましょう!」ではないから、自然とですね。
今は不安の方が大きいけれど終わった次の日は楽しみですけどね。
いろんなことが見えてくるだろうし。
4日までは苦しんで、5日に自分はどうなっているか、ここです。
■自主公演をやりきった達成感もありますでしょうし、お芝居だとか吸収することもたくさんあるってことですよね。
そうですね。
■先ほども少しお話がでましたが、自主公演をいざやるぞと本格的に動き出して、師・竹三郎さんは何かおっしゃっていますか。
何もわからないんでその都度相談はします。
師匠ともこの話はよくするのですが、師匠がやってた頃は大阪にお芝居がありませんでしたから、
だからこそ皆が芝居に飢えていて「やるぞ!」という想いがありました。
今は芝居が多いですからね、仕事がある中でこれをやるというのが…。
なので、時代も違うので黙っていらっしゃるところもあるし、でもやっぱり変わっちゃいけないところもあるし…。
まぁ見守ってるような…うーん黙って見てくれてるんじゃないですかね、今は。
一番忘れちゃいけないのは、“師・竹三郎がいるからやらせてもらえてる”ということですよね。
タイトルは「坂東竹之助自主公演」となってますけど、見えないところには、“坂東竹三郎の弟子の”というのが常にあります。
これは絶対に忘れてはいけないことだと思います。
こういう“師匠”、“弟子”のある世界はそうだと思います。
■今回の出演者って歌舞伎以外からもご出演なさる方もいらしてすごいメンバーですよね。
師匠と今回演出をお願いした水口一夫先生と相談しながら決めました。
お芝居が「歌しぐれ」に決まって、まず「おれん」は上村吉弥(かみむらきちや)さんに是非ともお願いしようと思いました。ご自分でも自主公演をなさっていますので沢山の事を教えていただけると思います。
「お町」という役が、中村芳子という初代鴈治郎さんの娘さんがずっとやっていた役なんです。
この娘が物語の中心となって、皆が「娘のために」という芝居なんです。
大阪にそういうニュアンスの人がいないので。それでこの役は河合宥季(かわいゆうき)くんが良いかなと思いお願いしました。
彼も何年か歌舞伎にいて現在は新派にいったんですけど、新派もやっぱり歌舞伎が元になっているところもあるし、吉弥さんもいらっしゃるし、今いろんなことを吸収してもらえたら良いかなと思います。
曽我廼家八十吉さんは舞台をご一緒するのは初めてなのですが舞台は何度か拝見しています。無理を承知でお願いしたら快く承知してくださって有難いですね。
そんな感じで色々と考えてお願いしていきました。
■なるほど。そしたらお芝居が「歌しぐれ」に決定し、役がこうあって、この役はどなたが良いかなというふうに決まっていったんですね。
そうですね。そこからはめていったという感じです。
人を決めて「このお芝居にしましょう」ではないです。
宥季くんは例外ですけど、上方落語の九雀さんがいて、松竹新喜劇の八十吉さん、上方歌舞伎の吉弥さん、
いろんな方面から大阪の匂いを教えてもらおうと思っています。
九雀さんもお芝居が好きで今「噺劇」といって、お芝居をされてらっしゃるんですよ。
南座でいつも春に歌舞伎鑑賞教室って一週間ほどやっていて、吉弥さんが踊り一本、その前に解説で九雀さんが出てらっしゃったんです。
しかも自由席で二千円くらいで入れるんですよ。
■えー!安いですね!
それによく行ったんですよ。役者になる前に。
だから吉弥さんと九雀さんはお芝居の面白さを教えてくれた人です。
■私は実は落語に行った事がなくて、新派もまだ観た事がないんです。
でもこうして竹之助さんの自主公演で落語や新派、新喜劇とか多方面から出てあって、「落語でこんな方がいらっしゃるんだ」とかそこから落語に興味を持ったり「今度は九雀さんの落語聴きに行ってみよう」とかそういう事もありますよね。
来ていただいた方にそう思って帰って頂ければ自分なりの成功かなと思います。
みんなお互いにパロディみたいなのがあったりしますし。
いろんなものを観てさらに楽しくなってもらえる気がするんですね。
■このメンバーでというのは本当に楽しみですね。
ですから逆に「九雀さんのファンで、でも歌舞伎は観たことがない」という方も今回いらっしゃるでしょうね。
いると思います。
だから「新喜劇の八十吉さんが好きで見に来たけど吉弥さんの芝居を見てみたくなりましたとか」とかどこかで繋がってくれればと思います。
■メンバーがメンバーだけに今回はいろんな入り口がありそうですね。
そうですね。
フィールドが違うから下手したらバラバラになるかもしれないけど。
芯になる骨は“大阪の匂い”かなと思います。
■そこがキーワードなんですね。
宥季くんなんかは大阪ではないですけど、彼にとっても良い経験になるのではないかと思います。
新派にも大阪の演目ってありますし、彼も後々そういう演目もやっていくんだろうと思うので。
■竹三郎さんも大阪を盛り上げようと自主公演を何度も開催してらっしゃいますね。
やはりそういったお気持ちも?
そうですね。
そこに一つわがままを言えば、これを観て、上方の芸能に繋がってほしいと思っています。
ちょっと贅沢言い過ぎかもしれませんけど(笑)
■いえ、でもこれをきっかけに「今度は九雀さんの落語を聴きに行ってみよう」という方も絶対にいらっしゃると思います。
そう思っていただけるようにしたいですね。